北九州マックだより(第52号、2026年1月発行)に掲載された当事者の手記から、その歩みの一端を紹介します。幼い頃から抱えていた生きづらさのなかでアルコールに出会い、大学時代から社会人生活にかけて依存が深まっていくなか、周囲の支えによって北九州マックにつながり、回復への道を歩み始めた経験が率直に語られています。
私がお酒を飲むようになったのは18歳の時からでした。何不自由ない生活を送って生きていましたが、幼い頃から生きづらさを抱えていました。そんな時に出会ったのがアルコールでした。大学のサークル活動の打ち上げで初めて飲んだお酒は私にとってはタダのジュース同然でしたが、次々に飲む私の姿を見てサークル仲間の同級生や先輩からとても褒められたのを覚えています。今まで得意なことや自慢できることがなかった私が唯一できることがお酒を沢山飲めることだったので、もっともっと飲めるようになって皆の期待に応えたい、もっと自分を認めてほしいと思うようになりました。
それまで週1回飲んでいたのが週3回、5回と増えていきました。はやり病が流行し、大学の授業が対面からオンラインに切り替わり始めたことも私の飲酒を後押ししました。大学4年になる頃にはほぼ毎日飲酒をしていました。当然ですが大学生活はボロボロで単位が取れないと卒業ができない状態だったので、1年生と同じ授業を受けていました。なんとか内定も頂けて、大学の教授に泣きついて単位をもらったので4年で卒業することはできました。
社会人になっても飲酒生活は変わるどころか、仕事のストレスで飲酒量は増えていきました。今まで9%の缶チューハイ2缶で済んでいたのが、気づけば6缶になっていました。毎日飲み続け酔った勢いで過食もしていたので、仕事中は常に体調が悪かったです。毎朝寝坊していたので、今日こそはお酒を飲まないと決意しても、仕事が終わる頃にはその決意も忘れて帰り道にコンビニに寄ってお酒を買って飲むのが日課になっていました。
社会人2年目になる頃には仮病を使い長期で仕事を休むようになっていました。その頃私は実家で母と2人で住んでいたので、金銭的な部分と精神的な部分で母に迷惑をかけていました。仕事に行ったり行かなかったりを繰り返していく内に会社での居場所がなくなっていき、ある日仕事を無断で辞めました。同じ時期に実家から突然母が実家からいなくなり、見捨てられたと思い私も実家を飛び出しました。自分がこんなに苦しんでいるのに、なぜ母は私の事を見捨てるのかと母を逆恨みしました。
そうして友人の家を転々として、最終的にはネットカフェで1カ月過ごしました。お金が底を尽きたタイミングで偶然行政につながれて、そのまま精神病院に入院。退院後は北九州マックにつながることができました。この時になって初めて、最初から最後まで周りの人や仲間の力に助けられていたことに気が付きました。
現在、マックでの生活を通して、自己中心的な考えから、自身は無力であり、周りの仲間との共存を中心とした考えに変わりつつあります。まだまだ周りの状況や人に囚われてしまう自分がいますが、感謝を忘れずにこれからもマックでの生活を大切に1日1日過ごしていきたいと思っています。
(Y.T)
【参考】物質依存とはアルコールや薬物など、精神に作用する物質を繰り返し使用することで生じる依存症です。使用を続けるうちに、耐性が生じて同じ量では同じ効果が得られにくくなることがあります。脳の働きや行動のコントロールに関わる機能が変化し、使用量や頻度を自分で抑えにくくなり、やめたくてもやめられない状態に陥ります。 参考文献:依存症とは |
北九州マック開設準備会を中心とする多くの理解者の支援を受け、2012年6月に北九州マック(地域活動支援センター)が開設されました。その後、14年4月にクロップハウス(共同生活援助)、24年1月に北九州マックネクスト(自立訓練〈生活訓練〉)の事業所が開設されました。