特定非営利活動法人ジャパンマック(JMAC)の歩み
1974年
11月 埼玉県大宮市(現さいたま市大宮区)に「大宮ハウス」 メリノールレジデンス開設。
1978年(昭和53年)
6月
荒川区三ノ輪の一軒家を借り「三ノ輪MAC(メリノール・アルコール・センター)」オープン。はじめの数ヶ月は教会の関係者の援助により運営。日本アルコール中毒対策カトリック委員会(JCCA)の事務所及びメリノール・アルコール・アシスタンス・プログラム(MAAP)の事務所とともに二階に設置。訪問人員1ヶ月で300名。福祉、保健所、教会より問い合わせ、訪問が相次ぐ。
米軍基地のアルコールリハビリセンターから定期的に見学、およびミーティングに来るようになり、都内、神奈川などの病院関係、福祉事務所、保健所の職員の方々も見学に来られ、アルコールの人たちも同伴されるようになる。
7月
MACの前身ともいえる1974年にオープンした大宮のハーフウェイハウス(大宮ハウス)が閉鎖。
11月
ビギナーズミーティングを毎日、昼1:30から3:00まで始める。
ステップミーティングを毎週月曜日の夜7:00から8:30まで。
1979年(昭和54年)
2月
毎月第一、第三火曜日の夜7:00から9:30までの間、福祉事務所CW、医師、施設職員、教会関係者の方にアルコール依存症とその回復について理解していただくためにプロ・ミーティングを開始。
1980年(昭和55年)
6月
毎週、京都と名古屋にメッセージを運ぶ。
1981年(昭和56年)
8月
東京の山谷地区で簡易宿泊所を利用して、山谷専門のプログラムを開始。
1982年(昭和57年)
9月
荒川区東日暮里に「マック第1ホーム」オープン。
10月
台東区根岸に「マック第2ホーム」オープン。
12月
足立区に「マック第3ホーム」(薬物専門)オープン。
荒川区三河島に「マック第4ホーム」オープン。
1983年(昭和58年)
1月
台東区竜泉に「マック第5ホーム」オープン。(後の山谷マック竜泉ホーム)
11月
全国のマック統一化を図るため、台東区根岸の第ニホームに「日本マック」の事務所を置き、運営資金部とする。
12月
荒川区に女性のための通所施設「スズランマック」オープン。「マック第3ホーム」を女性専用に変更。
東京のいくつかのグループが集まり東京イースト・インターグループ・オフィスを設立。飯田橋、秋葉原と場所を変え3年間運営。
1984年(昭和59年)
1月
日本マックの顧問委員会を開催、社会福祉法人「マック」設立準備委員会を発足しカトリック東京大司教・白柳誠一氏を委員長とする。
4月
日本マックという全国組織から、各マックの自立へと変わる。
6月
「マック第4ホーム」閉鎖。
8月
JCCA秘書・法人設立委員会役員を勤めていた田中道雄神父が死去。「日本マック」を「マック中央協議会」と改める。
1987年(昭和62年)
1月
女性のための「スズランマック」が、「スズランハウス」と改名され小平市に移転。
1991年(平成3年)
4月
「三ノ輪マック」が東京都社会福祉振興財団より助成金を受ける。
1992年(平成4年)
4月
神奈川県・川崎市に「川崎マック」がオープン。最後まで残っていた「第1ホーム」を閉鎖。
6月
神奈川県・横浜市旭区に女性ホーム「まゆの家」オープン。グループホームとして横浜市よりの助成金対象施設となる。三ノ輪マックの移転問題や慢性的な財政上の問題解消に向け、広く様々な関係者に呼びかけ、三ノ輪マック運営委員会準備会を発足。
1993年(平成5年)
4月
日本各地のマックが集まり、マックの発展とカウンセラー養成・運営費補助を目的として「全日本マック連合会」を設立。
5月
「三ノ輪マック」が借りていた一軒家が老朽化による建て替えのため、北区滝野川に移転、名称を「みのわマック」とする。
8月
「みのわマック」を財政的に応援することを目的として、会費を納入する会員組織「みのわマックを支える会」を発足。
10月
東京・横浜のアルコール関連の作業所などが集まり、アルコール施設連絡会(アル施連)設立。「みのわマック」も参加する。
11月
みのわマックを支える会発行による会報「みのわMAC」第1号発行。
1994年(平成6年)
1月
20回の準備会を経て、みのわマック運営委員会を発足。初代の運営委員長に荒井元傳氏(全国精神障害者家族会連合会専務理事)を選出。
2月
マック・デイケアセンターリブ作業所がオープン。
6月
東京都・北区より精神障害者共同作業所通所訓練事業として、補助金が交付される。
9月
マック全体としての長年にわたるアルコール依存症者の回復のために果たしてきた活動が認められ「みのわマック」が第46回保健文化賞受賞。
1995年(平成7年)
10月
三菱財団社会福祉助成事業として、全国のアルコール・薬物依存症者リハビリテーション施設を対象とした調査研究を行う。
1996年(平成8年)
9月
全日本マック連合会主催によるマックシンポジウム「アルコール施設を考える」を開催。
1997年(平成9年)
5月
社会福祉・医療事業団の平成9年度長寿社会福祉基金助成事業「特別会」として助成金をいただき「アルコール薬物依存症回復プログラムの紹介と導入手助け事業」を行う。翌98年3月に、翻訳したヘーゼルデン社のワークブックなど等を全国のアルコール・薬物関連の施設に無料配布する。各施設よりの反響が大きく、へーゼルデンのワークブック・書籍などの翻訳出版を今後も続けることとなる。
1998年(平成10年)
4月
「みのわマック」に通所する利用者のために、杉並区に「ミニーホーム」オープン。
7月
全日本マック連合会主催によるマック20周年記念シンポジウム「マックの原点からの展望」を開催。「みのわマック20周年感謝の集い」を開催。「みのわマック20周年記念誌発刊」。
男性依存症者のためのナイトケアホーム「ミニーレジデンス」を開設。
2002年2月
「特定非営利活動法人ジャパンマック」として認証を受け、みのわマックはデイケア部門の施設として位置づけ。
2003年
ミシガン州にあるソーシャルモデルの依存症回復支援施設の1つである「ドーン・ファーム」との交流が始まる。
みのわマックが滝野川7-31-7の一軒家より、7-30-5の三階建てビルに移転。
2004年
女性サポートセンター「オ'ハナ」(2009年障害者自立支援法の障害福祉サービス事業として承認)と女性ナイトケアホーム「ロイス」がオープン。
2005年
12ステッププログラムの精神を伝えていくことを目的にプログラム研究室が発足。
8月
ミニーレジデンスが北区志茂に移転する。
2007年
3月
ミニーレジデンスが北区東十条に移転する
2009年
4月
みのわマック、北区滝野川7-35-2へ移転。
旧みのわマックに、女性サポートセンター「オ'ハナ」が移転し、自立支援法障害福祉サービス自立訓練(生活訓練)事業所として東京都より認可され、名称を「ウィメンズアディクションサポートセンターオ'ハナ」と変更する。
2010年
1月
セカンドハウスを北区東十条に新設する。
6月
日本で初めての依存症者就労支援センター「マック・チャレンジサポート」をモデル事業として開設。(独立行政法人福祉医療機構社会福祉振興助成)
短期開発プログラムとしてアメリカのセレニティパークで行われているリカバリーダイナミクスプログラムの導入準備。
2011年
4月
「みのわマック」が自立支援法障害福祉サービス自立訓練(生活訓練)事業所として東京都より認可される。(精神障害者共同作業所より移行)
8月
バーブホーム移転(板橋区幸町)
10月
日本で初めてアルコール依存症者も対象としたリカバリーダイナミクス(R)認定依存症回復施設「RDデイケアセンター」開所。
2012年
1月
「ウィメンズアディクションサポートセンターオ'ハナ」「RDデイケアセンター」北区滝野川6丁目に移転
2月
「ミニーレジデンス」板橋区大山東に移転。
6月
福岡県北九州市に「北九州マック」を開設。
アルコール依存症回復支援施設職員全国研修を、独立行政法人福祉医療機構社会福祉振興助成により実施
2013年
1月 東京都板橋区にRDデイケアセンター移転
4月 東京都北区にマック・ファミリーエイド開設
マック・ファミリーエイドが北区政策共同事業として「依存症でも安心生活サポート」事業を開始(2016年3月まで)
10月 福岡県福岡市にジャパンマック福岡開設
依存症者家族教室モデル開発普及事業を、独立行政法人福祉医療機構社会福祉振興助成により実施
2014年
4月 福岡県北九州市にクロップハウス開設
5月 東京都板橋区にマック・チャレンジサポート開設
依存症回復施設職員全国研修を、日本郵便年賀寄付助成により実施
2015年
全国マック協議会が、日本アルコール関連問題学会より第5回河野弘明記念賞を受賞
2月 福岡県福岡市にロイス福岡開設
4月 川崎マックを特定非営利活動法人ジャパンマックが法人合併
2016年
8月 神奈川県川崎市に「すたーと」開設
2017年
依存症回復施設職員レベルアップ研修を、独立行政法人福祉医療機構社会福祉振興助成により実施
2018年
みのわマック創設40周年
2019年
4月 マック・チャレンジサポート閉鎖
6月 RDデイケアセンター・サテライトルーム開設