「みのわマックだより」創刊号から第3号までを読む(後編)

ジャパンマックのホームページでは、事務局の引越しの際に見つかった「みのわマックだより」創刊号から第7号までについて、その概要をご紹介しました。

今回は、その中から創刊号、第2号、第3号を取り上げ、当時の紙面をもう少し詳しくご紹介します。

この3号を続けて読むと、15周年を迎え、北区への移転を終えたみのわマックが、これまでの歩みを振り返りながら、「これから、どのような場所として歩んでいくのか」を考えていた時期の様子が見えてきます。(前編からの続き)

第3号――みのわマックの歩みと「12ステップ」

第3号では、冒頭からみのわマックの歴史が改めて語られています。

運営委員会発足のご挨拶では、みのわマックがアメリカで始まったAAの回復プログラムなどを背景として発展してきたこと、1978年に山谷地区の近くで活動を始めて以来、アルコール依存症からの回復を支える取り組みを続けてきたことが振り返られています。

そして、15周年を迎えたこの時期に、

  • 北区の現在の建物を借り受け、改築・移転を完成させる
  • 15周年記念大会を開催する
  • ミニー神父を招いた記念行事を行う
  • みのわマックを支える会の会員を増やす
  • 財源を確保する

といった課題に取り組んでいたことが分かります。

「ジャン・ミニーの12ステップ」につながる記事

第3号の3ページから9ページには、田中神父(ピーター)による、AAと12ステップについての長い話が掲載されています。

ここでは、AAとの出会い、仲間との出会い、ミーティングに通うこと、そして12ステップをどのように受け止めていったのか、といった経験が語られています。

この部分は、その後「ジャン・ミニーの12ステップ」という本にまとめられている内容でもあります。

そのため、ここでは詳しい内容の紹介は省きますが、第3号の紙面を見ると、みのわマックにおける12ステップが、単なる「プログラムの説明」ではなく、実際に回復していく人の経験と結びついたものとして語られていたことが分かります。

活動を続けていくために

第3号の後半には、講座やイベントのお知らせのほか、会計の状況、利用者数、修了者数なども掲載されています。

そして最後には、当時のみのわマックの案内と地図が掲載されています。現在のみのわマックを知る人にとっては、こうした昔の案内図そのものも、当時を知る資料の一つかもしれません。


3号までを通して見えてくるもの

創刊号から第3号までを続けて読むと、そこには一つの流れがあります。

15周年を迎えたこと。
北区へ移転したこと。
これまでの歩みを振り返ったこと。
そして、新しい場所で活動を続けていくために、みのわマックとは何なのかを改めて考えていたこと。

創刊号では、15年間の歩みと新しい場所への移転が大きなテーマになっています。

第2号では、「みのわマックの魂」という言葉を通して、回復する仲間にとってのみのわマックとは何なのかが語られています。

そして第3号では、その背景にあるAAや12ステップ、みのわマックの歴史について、より深く掘り下げています。

この3号を読むと、みのわマックが単に「アルコール依存症の人を支援する施設」として活動していたのではなく、仲間とのつながりの中で回復を考え、そのための場所を自分たちでつくり、支えていこうとしていたことが伝わってきます。

もちろん、30年近く前の紙面ですから、制度や数字、施設の状況など、現在とは大きく異なる部分もあります。

それでも、そこに書かれている「何を大切にしていたのか」という部分には、現在のみのわマックにもつながっているものがあります。

今回見つかった「みのわマックだより」は、そうしたみのわマックの原点に近い時期の記録として、改めて読み返す価値のある資料だと思います。

今後も、第4号以降について順次ご紹介していきます。