「みのわマックだより今昔」は、過去の「みのわマックだより」を振り返りながら、当時のみのわマックの様子や、そこから見えてくる「変わらないもの」をご紹介するシリーズです。
今回は、2018年11月号を読み返します。
11月号は、いつもの活動報告とは少し違う会報です。
2018年7月21日、みのわマックの施設長を長く務めた山本晋一さん(バーブさん)が亡くなられました。
この号では、山本さんと関わってきた仲間や職員が、それぞれの思い出を寄せています。
思い出の中に、回復への道しるべになる多くの言葉、行動を見出すことができます。

「支える人」だった山本さん
元職員の文章から伝わってくるのは、山本さんが単に施設を運営していた人ではなかったということです。
通所者一人ひとりについて職員と話し合い、プログラムや仕事について考える。その姿には、仕事として福祉に携わるだけではない「深い愛情」が感じられたと書かれています。
通所者がソフトボールで足を骨折したときには、真っ先に病院へ付き添い、その後も毎日のように見舞いに行っていたそうです。
一方で、自分が分からないことについては人を信頼して任せる。
そんな山本さんの姿から、「仲間の回復を中心に考える」ということが、日々の具体的な行動として表れていたことが分かります。
「2~3日通ってから決めればいい」
別の仲間は、仕事もなく不安な時期に、仲間から勧められてみのわマックへやって来ました。
しかし、3か月毎日通う自信はありません。
そこで山本さんは、「2~3日通ってから決めてもいい」と言いました。
数日たっても決められないと、今度は「1週間くらい通って決めればいい」。
そうしているうちに、その人はいつの間にか毎日通うようになっていたそうです。
このエピソードは、山本さんの支援の姿勢をよく表しているように思います。
最初から大きな決断を求めるのではなく、まず少しやってみる。続けられたら、また次を考える。
回復への道を、一歩ずつ進めるようにしていたのでしょう。
厳しさの中にあった愛情
山本さんについて書かれた文章を読んでいると、「優しい人」だけではありません。
ミーティング中に居眠りをしている仲間を厳しく叱ったことや、仕事について妥協を許さなかったことなど、かなり厳しいエピソードも登場します。
しかし、その厳しさの根底には、
「この人には回復してほしい」
という思いがありました。
ある仲間は、山本さんからよく叱られ、よく頼まれた一方で、そこには大きな愛情もあったと振り返っています。そして、マックを離れて社会に出た後も、何かあるたびに相談に乗ってもらっていたそうです。
「用務員さん」から「親父」へ
11月号で特に印象に残るのが、「用務員さんから親父に。」という文章です。
初めてみのわマックを訪れたとき、山本さんは黄色い古びた自転車を押しながら迎えに来てくれました。
病気について責めることもなく、歩きながら桜の話やコンビニの話をする。
その姿を見て、最初は「きさくなおじさんだな。きっと用務員か何か」と思っていたそうです。
その後、その人はみのわマックに通い、山本さんから叱られ、励まされ、やがて社会へ出ていきました。
そして山本さんは、いつしか「親父」と呼ぶ存在になっていました。
最後には、
「お前がもらったものを手渡していくんだよ!」
という言葉が、自分の中に聞こえてくるような気がすると書かれています。
今読み返して感じること
11月号を読み返していると、前回までの記事で見てきた「仲間」という言葉が、別の角度から見えてきます。
仲間同士が支え合う。
その仲間を、職員が支える。
そして、支えられて回復した人が、今度は別の仲間を支える。
山本さん自身も、かつて誰かから受け取ったものを、次の人へ渡していたのかもしれません。
だからこそ、山本さんが亡くなった後も、その人から受け取ったものは消えていません。
「いつも見守ってくれていた」と感じる人。
「今でも励ます声が聞こえる」と感じる人。
そして、自分もまた誰かに渡していこうと思う人。
11月号に掲載されたのは、山本さんの「功績」だけではありません。
一人の人が、別の人の人生に残したもの。
それが、それぞれの仲間自身の言葉によって記録されています。
2018年のみのわマックだよりをここまで読んできて感じるのは、みのわマックの歴史は、建物や制度だけでできているのではないということです。
そこには、仲間と出会い、支えられ、そして誰かを支えるようになった人たちの記憶があります。
そして、その記憶を残していくこともまた、「経験を次の人へ手渡す」ことの一つなのかもしれません。
次回は、2018年12月号を読み返します。そこでは、みのわマックを訪れた福祉・行政関係者の声から、外から見たみのわマックの姿をたどります。




