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競輪は、戦後日本とともに歩んできた公営競技であり、バンクを駆け抜ける選手たちの迫力には、多くの人を魅了する奥深さがある。だが、「勝てる」「取り返せる」という思い込みが、ファンの生活を静かに蝕んでいくこともある。競輪に関わる仕事をしてきた筆者が、その仕組みと、のめり込みへの向き合い方を考える。
「元・競輪ライター」と名乗ることに、少しだけ抵抗がある。
競輪を嫌いになったわけでも、廃業を宣言したわけでもない。ただ、ご縁があって、現在は依存症や福祉をテーマに執筆する機会が増えた。それでも、競輪の世界で見聞きしたこと、学んだことは、今の仕事にもつながっている。
競輪は、日本の戦後史そのものでもある。戦後復興、地方財政、労働者の娯楽。競輪の歴史をたどることは、そのまま戦後日本の歩みをたどることでもある。そして何より、競輪選手は命がけで走っている。バンク上の落車は、大けがにつながることもあれば、命に関わる危険さえある。
問題にしたいのは、競輪そのものではなく、「勝てる」「取り返せる」「投資だ」と思い込み、生活を賭けの中に沈めてしまうことである。
同業者の中にもさまざまな人がいた。私たちは、レース中継を流しながら仕事をし、仕事中に賭けることは熱心さとして喜ばれる環境だった。
賭け方は人それぞれだった。たまに推し選手に100円だけ賭ける人もいれば、年収を上回るような金額を、車券、馬券、舟券につぎ込む人もいた。それでも本人は、「自分は勝っているから問題ない」と説明する。ところが、ある日突然、連絡が取れなくなる。業界の言葉で言えば、「飛んでしまう」のである。
競輪は、賭けたお金がそのまま戻ってくる遊びではない。車券の売上からは、あらかじめ一定割合が控除される。いわゆる「寺銭」である。
控除率が25%なら、100円賭けられたうち、払戻金に回るのは75円分ということになる。もちろん、個々のレースでは大きく勝つ人もいる。しかし、参加者全体で見れば、最初から25%分が差し引かれた勝負をしている。だから、長く、何度も賭け続ければ、平均的な回収率は理論上その水準に近づいていく。
まして、競輪は「投資」ではない。
投資であれば、企業の成長や資産価値の上昇によって、長期的に利益が生まれる可能性がある。しかし競輪は、売上の一部があらかじめ控除され、残りを的中者で分け合う仕組みである。参加者全体で見れば、最初から期待値が100%を下回っている。もちろん、「大穴」を当てて、たまたま大きく勝つ人はいる。だが、それは投資による収益ではなく、賭けの結果として得た払戻金にすぎない。
さらに、払戻金には税金も生じる。トータルでは負けていても、高額な払戻金があれば、税務上の扱いが問題になることがある。外れ車券の購入費まで、費用として自由に差し引けるわけではない。
つまり、競輪で長期的に勝ち続けることは、仕組みの上でも、税金の上でも、簡単な話ではない。それでも人は、「今回は勝てる」「次で取り返せる」と思ってしまう怖さがある。一度大きく当てた経験があると、その記憶は強く残る。負けた日のことも、もちろん覚えている。それでも、勝った瞬間の快感だけが特別なものとして刻まれ、実際の収支とは別に、「自分は勝てる人間だ」という感覚が育っていく。
しかし、それはしばしば統計のゆらぎにすぎない。
たまたま勝つ人はいる。何度か続けて勝つ人もいる。だが、それは「必勝法」を手に入れたという意味ではない。多くの人が、何度も賭ければ、その中には偶然勝ち続ける人も出てくる。
その偶然を「自分の実力」と思い込んでしまう。ギャンブルで怖いのは、負けることだけではない。一度勝った経験が、「また勝てる」「取り返せる」という思いを生むことだ。まして、負ければ、取り戻したくなる。こうして、勝っても負けても深追いをしてしまうのである。振り返れば、私にもそのような経験がある。もはや、軍資金が底を突くまで、惰性で車券を買ってしまう。そうして、気づいたときには、モーニングからミッドナイトまで、生活の中心がレースになっている。
競輪は魅力のある競技である。だからこそ、距離の取り方が重要になる。向き合い方を誤れば、続けるほど負けやすい仕組みの中に吸い込まれていく。
まずはその仕組みを知ることが大切だ。寺銭があること。期待値が100%を下回ること。大きく勝っても税金の問題があること。そして、「自分だけは勝てる」という感覚が、正しい現実を映しているわけではないこと。
選手たちがバンクを駆け抜ける姿や、レース中の人間味あふれる駆け引きには、競輪ならではの魅力がある。歴史も文化も、知れば知るほど面白い。さらに、「ケイリン」は2000年のシドニー五輪から正式種目となった。日本発祥のスポーツが五輪に採用されたのは、柔道に続き2例目のことである。
だが、賭けの対象として見たとき、競輪が「勝ち続けられる仕組み」ではないことも、また事実である。生活費を賭けること、借金をしてまで続けること、負けを取り返そうとしてさらに賭けることは、もはや娯楽とは言えない。
のめり込まないこと。深追いしないこと。競輪と長く付き合っていくために大切なのは、その一線を忘れないことだと思う。
木村 邦彦(きむら・くにひこ) 編集者・広報。業界紙の記者を経て、競輪メディアで仕事をする中で依存症に関心を持ち、現在は障害福祉の現場や福祉分野の広報に関わる。
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