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みのわマックの会報「みのわマックだより」(2026年6月号)に、社会福祉士、精神保健福祉士、公認心理師の野口誠さんが寄稿しました。本記事では、その内容の一部をご紹介します。生活保護のワーカーとして働き始めた野口さんが、AAやマックへの先入観を、仲間との出会いを通じてどのように解いていったか。専門職の技術だけでは届かない、仲間としてのつながりが寄稿文には綴られています。
野口さんは1987年、生活保護のワーカーとして働き始めて1年目に、目黒区役所で開かれたアルコール依存症の研究会に参加しました。隣の席は、みのわマックの施設長(当時)、山本晋一さんでした。
当時の野口さんは、AAやマックに「宗教的」な印象を持っていました。施設から届くチラシを見ても、「こんな宗教的なところは使いたくない」「クライアントに宗教的な厳格な生き方を強制したくない」と考え、相談者への紹介をためらっていました。
なお、マックで用いられる回復プログラム「12ステップ・プログラム」には「神」という言葉が登場します。ただし特定の宗教を指す言葉ではなく、「自分なりに理解している神」「ハイヤーパワー」とも表現される、人間の力を超えた大きな力という意味です。
▶「12ステップ・プログラム」とは何か――背景と特徴をわかりやすく解説
そんな野口さんの印象が変わるきっかけになったのが、目黒区役所で開かれたアルコール依存症の研究会でした。休憩中、山本さんが隣の参加者と、どちらが重症なアルコール依存症だったかを冗談交じりに競い合う様子を見て、野口さんは「とんでもなく面白い人たちだ」と直感し、身構えていた印象が変わってきたそうです。
同じころ、野口さんはダルクの創設者、近藤恒夫さんとも知り合い、支援施設への警戒感が次第に薄れていきました。以降、仕事で出会う依存症のある人たちを、マックやダルクに紹介するようになったと語ります。
野口さんが福祉事務所で担当していたAさんは、元暴力団関係者で、アルコール依存症のある方でした。野口さんが紹介したみのわマックにはなじんでいましたが、トラウマの症状が強く、何度もスリップ(依存症の再発)を繰り返しました。ある雨の夕暮れ、傘もささずに車道を歩くAさんの姿を、野口さんはバスの中から見かけたといいます。
その後、Aさんは正月に事故で亡くなりました。身寄りのなかったAさんについて、山本さんは「俺が骨を拾いに行くよ」と語りました。野口さんは、この言葉から、支援する側とされる側という関係を超えたつながりを見たと振り返っています。後に、Aさんには児童虐待の被害があったことも分かりました。
野口さんは寄稿文の結びで、依存症からの回復者たちが新しい文化を作っていると述べ、専門職にはまねのできない当事者性を、山本さんのように持ち続けてほしいと望んでいます。
寄稿文の全文は、みのわマックのホームページで読めます。ぜひ、お読みください。
1978年6月、日本で初めて12ステッププログラムを使って依存症者の回復と成長をサポートするアルコール等依存症者リハビリテーションデイケア施設「三ノ輪MAC」として発足しました。設立者もアルコール依存症者の当事者であり、当事者による当事者へのサポートを大切にしています。
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