依存症からの回復で語られる「手放す」とは、何を意味するのでしょうか。「『手放す』とは、何を手放すのか――依存物と人間関係のコントロール」の記事を手がかりに、相手を諦めるのではなく、相手を変えようとする関わり方を見直すことについて、障害福祉の支援現場での経験から考えます。(文・木村邦彦)
私は福祉分野の広報を担当しています。福祉について伝えるには、直接支援の現場を知らなければ書けないことがある。そう考え、現在はジャパンマックとは別の障害福祉の現場で、知的障害のある人たちの支援にも関わっています。
現場では、強度行動障害と呼ばれる状態にある人と接することがあります。強度行動障害は診断名ではなく、自傷や他害、物を壊すなどの行動が著しく高い頻度で現れ、特別な配慮を必要とする状態を指します。
こうした行動には、本人の特性だけでなく、身体の不調や感覚の特性、意思を伝えることの難しさ、周囲の環境や関わり方とのずれなど、さまざまな要因が影響している場合があります。
カウンセリングスペースやどりぎ・橋本茉旺さんの「『手放す』とは、何を手放すのか」を読み、支援の現場で思い悩んできたことと重なりました。
▶「手放す」とは、何を手放すのか――依存物と人間関係のコントロール / やどりぎコラム
記事は「手放す」対象として、依存物との関係と、人との関係の二つを挙げています。私が支援の現場と重ねて考えたのは、後者の「人との関係」でした。
次のような一節があります。
「手放す」とは相手を諦めることではなく、“相手を変えようとしてきた関わり方”を手放すこと
支援の現場では、自傷や他害など、本人や周囲に危険が及ぶ行動を止めなければならない場面があります。安全を守るための制止は欠かせません。しかし、その場で行動を止めただけでは、問題が解決したとは限りません。背景にある困難が変わらなければ、別の場面や別の形で、再び同じような行動が起きることがあります。
私は支援に入り始めた頃、目の前の行動を何とか止めようとすることに意識が向きがちでした。こちらの言葉に従ってもらうことや、行動を修正することを、支援の成果のように捉えていた部分もあったと思います。
しかし、行動が止まっても、本人の困難が軽くなったとは限りません。表面に現れる行動が減っただけで、苦しさは残っているかもしれないからです。
「相手を変えようとしてきた関わり方を手放す」。
この言葉は、本人への働きかけを諦めることではありません。危険な行動を容認することでも、必要な支援をやめることでもない。本人だけを変えようとするのではなく、支援する側の関わり方や、本人が過ごす環境のほうを見直すこと。私はそう受け取りました。
言葉での説明が伝わりにくいなら、写真や絵を使う。予定の変更が不安につながるなら、早めに見通しを示す。人の多い場所で落ち着かないなら、静かに過ごせる場所を用意する。音や光、待ち時間、活動の内容。何が負担になるかは、人によって違います。行動を止めることを考える前に、その行動が起きにくい状況をつくる。
私はまだ、迷わず判断できるほど十分な経験を積めていません。安全の確保と本人の意思の尊重は、いつも簡単に両立するとは限らないからです。それでも、本人を変えることだけに力を注ぐのではなく、自分の関わり方や、本人を取り巻く環境にも目を向けることはできます。
相手を思いどおりにしようとする支援から離れるための土台が、「自己覚知」なのだと思います。この視点は、依存症支援に限らない、対人支援に共通するものではないでしょうか。

木村 邦彦(きむら・くにひこ) 編集者・広報。業界紙の記者を経て、競輪メディアで仕事をする中で依存症に関心を持ち、現在は障害福祉の現場や福祉分野の広報に関わる。