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アルコールとギャンブルにのめり込んだ日々――ADHD、そして依存症に向き合う岡田昌之代表

ジャパンマックの岡田昌之代表は、中学時代を自由と希望に満ちた日々だったと語ります。しかし、高校に進むと状況は一変。アルコールやギャンブルにのめり込むようになります。やめたくてもやめられない、依存症が発症しました。思い通りに生きられない現実と向き合いながら、自分の足で人生を歩もうとした当時を振り返ります。
(初出『ジャパンマック福岡便り』)

希望に満ちた中学時代

 今でも忘れずにいるのは中学の時の入学式の情景である。映画などでも見かける入学式の大きな看板が出ていて、校門のところで母親と記念写真を撮った。傍らには黄色い花を身に着けた樹木が春の景色に溶け込んでいた。家に縛られていた自分が自由を感じ、希望に満ちていた。

 実際に中学時代は順調だった。もともとすばしっこく運動神経がよかったのでサッカー部に入り、左のバックをまかされていた。ほとんどのフォワードは右利きだったので左のバックは守りの要で、活躍をしていた。また、体育の授業ではハードルが得意でそのフォームはみんなの前でお手本として演技をさせられもした。学業でも数学はとにかく楽しくて興味を持っていたので秀でていた。英語も兄の大学の友人が家庭教師を引き受けてくれてかなり良かったと思う。

 弱点は文系だった。ADHD(注意欠如・多動症)で落ち着きがなく、お調子者だったので先生にとってはやっかいな生徒だったと思う。ある時、調子にのって女の子をからかっていたら苦手な数学の先生に呼び出されてこっぴどく怒られたことがある。

 そんな自分の中学時代の集大成が高校受験だった。先生からは内申点が悪いので希望の都立高校は難しいから少々ランクを下げたほうがいいというアドバイスを、模試で好調な成績をあげていたこともあり、下げることをしなかった。また、私立高校も先生たちの前評判では受かりようのない高校を目指した。結果、ともに合格した。わが世の春で受験対策室(合格すると報告する部屋があった)に胸を張って報告した。それから卒業まではなんとなく対立気味だった先生たちも手のひらを返したように友好的になっていた。

アルコールとギャンブルへの入り口――高校時代の変化

 そんな調子で高校に入学した。実はこのころからアルコールを眠剤代わりに飲むようになっていた。ビッグブックにこう書かれている「私たちは人間の英知こそが完璧であり、永遠だと信じた(ビッグブックP72 L10)」まさに自分の人よりすぐれた英知(能力)でこの世の中から人より十分な恩恵をうけて純分満足した未来が待っているはずだと確信していた。しかし、アルコール依存症の足音が不眠と共に自分に近づいてきていた。実際にビッグブックを書いたビルも大学をアルコールで落第しかけている。

 高校に入ってから状況が変わり始めた。得意だったスポーツでもなんだかうまくいかなくなっていた。ラグビー部に入ってスクラムハーフというポジションについた。持ち前の運動能力ですぐに同じポジションの先輩を脅かすくらい能力を発揮したのだが、高校に入って覚えたマージャンとパチンコのとりこになってしまい、部活をさぼるようになり高校2年になった時には新入生にポジションを奪われるような状況になっていた。体力も落ちてとても部活を維持できるような状況ではなくなっていた。また、学業も飲酒やマージャン、パチンコざんまいの生活でおろそかになり赤点を多くとるようになり卒業さえ危ぶまれるようになっていた。

 その後、依存症を発症した。やめたくてもやめられなくなっていた。

 高校を卒業した後も中学生の時の栄光にしがみついて、いつかまた自分の能力を発揮してほかの人たち以上の活躍をし、人生が開けてくる時が来るのではないかという妄想をさかなに酒を飲んでいた。

 大学受験に失敗して、予備校に通って自分の復活を待っていた。しかし、していることは予備校にも通わずにパチンコ屋と雀荘(じゃんそう)に入り浸る生活である。大学に受かるわけもないし、人生が好転するわけもない。3浪という名のもとアルコールギャンブルざんまいの生活も続かなくなり、専門学校やアルバイトなどをしながらアルコール依存症の悪循環の中で3回の入院を経験した。

依存症からの回復には「やめる」だけでは足りなかった

 自分の人生はこんなはずではなかった。思い通りではなかった。

 自助グループの12ステップでの、ステップ1「①われわれはアルコールに対して無力であり、②思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた」の①はすぐに受け入れたが②の意味が分かっていなかった。施設や自助グループにつながって酒をやめれば、自分の能力と英知だけでなんとかなるというのが本心だった。

 お酒をやめてから②を受け入れるプロセスの試練が訪れた。酒をやめているのだが、仕事が続かない、恋愛が長続きしない、友達ができない、金銭管理ができない、等々散々だった。アルコールの底付ではなく、人生の底付だったと思う。

 再び、12ステップの提案と向き合い、ステップ4の「私たちにとって飲むことは問題の一つの症候にすぎなかった。だから私たちはその原因と、そのためにいまどうなっているかというところまで掘り下げなくてはどうしようもなかったのだ(ビッグブックP72 L10)」自分自身が「②思い通りに生きていけなくなっていた=心理的に孤立していた」原因に本気で取り組まないと、再びアルコールに捕まってしまうと思った。

 自分の足で人生を歩き始めた瞬間だった。


依存症とジャパンマックの回復支援活動

 アルコールなどの依存症は、自分の意思とは関係なく依存が形成される病気です。習慣的な要因によるもので、誰にでも陥るリスクがあります。 1978年に設立されたジャパンマックは、日本で初めて12ステッププログラムを導入した依存症支援施設であり、依存症に苦しむ多くの人々の回復をサポートしています。長年の経験をもとに依存しない生活を送れるよう支援し、社会復帰を目指すためのプログラムを提供しています。

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 依存症に関するご相談は、ジャパンマックのウェブサイトの問い合わせフォームやお電話にて承っております。依存症でお悩みの方やご家族の方は、どうぞお気軽にご連絡ください。