アルコール依存症からの回復を経験したジャパンマック 岡田昌之代表による手記です。肝硬変で入院中の同室者の死を目の当たりにし、自身も吐血で死に直面した経験から、アルコール依存症の深刻さを痛感します。その後AAのミーティングと出会い、3年の断酒期間を経て、さらに12ステッププログラムの実践を通じて、新たな生き方を見出していく。その過程を率直な言葉で明かしています。
(初出『ジャパンマック福岡便り』(第14号、2018年12月発行))
実際の話である。今のところ最後の入院となった高尾山の麓の病院での経験である。
同室に肝硬変を患い食道静脈瘤がある50代の仲間がいた。ある時、外泊前に担当医と話していた。仲間は相当アルコールで身体がダメージを受けているようで、外泊時の注意事項として「飲酒したら食道静脈瘤が破裂し、命を落とす可能性が高い」と医師から忠告されていた。それは杞憂には終わらずに、現実のこととなった。彼は外泊中に飲酒をして食道静脈瘤が破裂し、帰らぬ人となったのである。
この話を聞いて、自分は心底から、自分自身に降りかかったアルコール依存症という病気の恐ろしさに不安を感じた。
ビッグブックには(アルコホーリクス・アノニマス p.38最終行)こう書かれている。
「もしあなたが私たちのように深刻なアルコホーリクなら、もはや中途半端な解決方法はない。私たちは、自分の人生が自分の手に負えなくなった状況まで、人間の意志では決して戻れないところにまで踏み込んでしまっていた。残された道は二つしかなかった。耐えられない状態に目をつぶって行き着くところまで突き進むのか、それとも霊的な助けを受け入れるかだった。私たちは受け入れた」
ビッグブックに書かれていることを目の当たりにした。同室の彼は死に向かって突き進んでいってしまった。
この時、自分にも同じことが起こりつつあることに、嫌でも気づかされた。私たちは病気が進行していく中で、何度も何度も酒の問題をどうにかして人生を立て直そうとする。しかし、敗北に次ぐ敗北で自分の人生が自分の手に負えなくなっていた。まさに自分の意志もまわりの手助けもまったく役に立たない状況で飲み続け(人間的な力の限界を示している)、当時の自分は人生の終着点に目をつぶって行き着くところまで突き進んでいた。自分も彼と同じように血を吐いて死に損なったことがある。
飲酒が招いた吐血と死への危機
家業を手伝っていたころの話である。連続飲酒になって仕事が続かず、辞めることになった。働かないので収入もない。家にはかろうじていられるような状況であったが、何よりも飲む金の算段をどうするかを考えていた。思いついたのは、当時持っていた車を親に売りつけることだった。今思うと何とも不合理な要求ではあったのだが、「40万円でどうにも手に負えない息子が家を出て行ってくれるのならありがたい」という手切れ金のつもりだったのだろう、母親もその要求をのんでくれた。
そのお金で家出をして(実際には一週間と続かなかったが)、歌舞伎町で飲んだくれていた。お金の心配はないのだから好きなだけ飲めた。西武新宿線が目の前に見える小さな焼き鳥屋で飲んでいた時だった。何か腹の底から気持ちが悪くなり、込み上げてくるものを感じた。吐きそうだった。あわてて会計を済ませ、店を出て表のごみ箱の陰に隠れるようにして戻した。
鮮血が広がった。吐血だった。酔っていたので驚いたが、深刻には考えなかった。そのあと一晩サウナで過ごし、フラフラになって家に帰った。トイレで吐血している自分を見て、母親があわてて病院に運び込んでくれた。医者には「死ぬところだった」と言われた。しかし、それでもアルコールを手放すことはできなかった。
3年後にAA(アルコホーリクス・アノニマス)のメッセージに触れ、霊的な手助けを受け入れ始めた。
最初の霊的な助けは、「ミーティングが自分たちを飲酒から救ってくれる」という話だった。何とも非科学的なように思えるが、今振り返れば、それこそ霊的な手助けだったのだ。AAを信じて3年近く欠かさずミーティングに出続けた。確かにその3年間はソーバー(断酒)が続いた。AAのミーティングは非常に不思議で、行く前は「面倒くさい」「家に帰ってゆっくりしたい」と思っていても、ミーティングの帰りにはいつも晴れ晴れとして気持ちが楽になっていることが多かった。実際にミーティングをさぼって家に帰り、ゆっくり過ごそうとしたこともあったのだが、手持ち無沙汰でかえってイライラしたのを覚えている。
霊的な助けを本当の意味で受け入れたのは、お酒をやめてある程度自分の力で生きようとしてみても、うまくいかなかったからだ。中学生の頃、自分は神童だと思っていた。思い上がりが強かった。ほとんど勉強をしなかったのに、受験した高校すべてに合格してしまったからだ。確かに記憶力は良かったように思う。それ以降は、酒を飲みながら受験の成功体験を何度も何度も思い浮かべては、自尊心をかろうじて保っていた。
AAにつながりお酒をやめても、神童である自分の力を信じて仕事や人間関係にあたっていた。思うようには結果が出なかった。恋愛をしても続かない。仕事も続かない。酔っていないので、自分の力の限界を知るようになり、その辛さが真正面から襲ってきた。今思えば、ものすごく未熟だった。
そのような体験と前後して、12ステップを細々と実践しながら、カトリック教会の神父さんのお話を聞くようになっていた。神父さんは信仰について話すとき、よくこんな話をされていた。
「神様は、世の中で一番弱い人々の手助けをしてほしいと思っている。そのような神様の思いに寄り添い、神様のお手伝いをした人には、必要なものがすべて与えられる」と。
確かこんな感じの話だった。当時の自分にもわかりやすく、納得できる内容だった。実践すると確かに必要なもの以上のものが与えられた。そうして信仰を持つようになった。霊的な恵みを実感した。
依存症者は、誰でも12ステップを通じて回復のために神様を求め、霊的な道を歩む。一人ひとりが信じる神様は違っていても、12ステップを実践すると等しく導きを与えられるのだと、私は確信している。
(文・ジャパンマック代表 岡田昌之)
アルコールなどの依存症は、自分の意思とは関係なく依存が形成される病気です。習慣的な要因によるもので、誰にでも陥るリスクがあります。 1978年に設立された「みのわマック」は、日本で初めて12ステッププログラムを導入した依存症支援施設であり、依存症に苦しむ多くの人々の回復をサポートしています。長年の経験をもとに依存しない生活を送れるよう支援し、社会復帰を目指すためのプログラムを提供しています。
依存症に関するご相談は、ジャパンマックのウェブサイトの問い合わせフォームやお電話にて承っております。依存症でお悩みの方やご家族の方は、どうぞお気軽にご連絡ください。
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