かつて当事者として依存症回復施設「バーブホーム」(東京都板橋区)で過ごし、現在はジャパンマック職員として依存症者の回復を支えるKさん。自らの“バーブホーム体験”と回復のプロセスを語っていただきました。
ジャパンマックは、1974年に日本ではじめて共同生活という形で依存症回復支援に取り組んだミニー神父の活動を契機としてはじまりました。ジャパンマックの象徴とも言える施設が「バーブホーム」。24時間の支援できる入居施設で、多くの人々の再出発を支えてきました。しかし、老朽化により現在は取り壊され、再建が急務です。クラウドファンディングを通じて、依存症者が社会と再び繋がるための居場所を一緒に作りませんか。
目標金額は2,500万円です。この資金は、建物の再建費用等に充てられ、依存症者が安心して回復に専念できる環境づくりに使われます。
当事者としてバーブホームで過ごした経験を持つ職員のKさんは、そこでの生活を次のように明かします。
「かつてのバーブホームは3階+αの高さがあって、階段の上り下りが大変でした。私は一時期、足を骨折してギプスをしていたので、移動するのが本当にきつかったです」
▲写真:バーブホームの建物内部。高さは3階+α(現在は取り壊されています)
Kさんは依存症に加え、他人との共同生活にも不安を感じていたそうです。
「昔も今も、人付き合いがすごく苦手な私は、他人と一緒に集団生活なんてしたことがありません。それだけでも大変なのに、朝食の準備からマックやAA(アルコホーリクス・アノニマス)会場への移動、洗濯や掃除といった日常の家事、さらにお風呂の時間の調整まで、全部において迷惑をかけている自覚があって、全然心が休まらなかったのです。最初は」
しかし、生活を続ける中で、考え方に「限界」という名の変化が訪れました。これは、Kさんにとって回復へ進む重要な転機となったようです。
「でも、限界があります。ずっと心が休まらないままではいられないんです。ギプスが取れるまでの1か月ちょっとの間に、私は考え方を変えました。開き直ることを覚えたんです。『相手が迷惑だと言わない限り、自分が迷惑をかけていると思わない方がいい』と考えるようになりました」
▲写真:バーブホームでの共同生活の様子
Kさんはできる限りの努力を心がけました。
「ただし、手を抜くことはしませんでした。不自由な中でもできる限りのことは精いっぱいやって、その努力が伝わるように心がけていました。あとは、相手の問題ということです」
バーブホームでの厳しい生活を通して「自分でできる範囲のことを精一杯やったら、あとは、相手次第」という考え方に至ります。そしてさらに、「あとはお任せ」という意味も実感するようになったと言います。
「骨折をし、寮暮らしで24時間365日の厳しい生活を送り続けた結果『あとはお任せ』という意味が実感できました。リハビリ中の苦労は、むしろ余計にしておいた方が良いと思います。そういう意味では、ホームが3階建てだったのも、『神の計画』だったのかもしれません」
新しいバーブホームは、従来の3階建てから2階建てに変わる構想もあり、利用者の物理的な負担は軽減するかもしれません。Kさんは同じような苦労をする人が減ることを歓迎しつつも、「それでも苦労はなくならない」だろうと語ります。
「依存症者は、性格的な問題を抱えており、集団生活に向いていないことが多い。これは私だけじゃなく、多くの依存症者に共通することだと思います。でも、その中でも気を張らずに過ごせて、安心できるようになれば、回復できると信じられるようになるんです。だからこそ、これはプログラムなんだと思います」
最後にKさんは、バーブホームで得た経験をもとに「回復の大切な基礎」について語りました。「仲間の支え」だけでなく、自分自身の内面の強さや安心感を築くことも大切なようです。
「今年の初めに膝を痛めて、しばらくの間、自宅の階段を上り下りできなくなりました。でも、誰も助けてくれる人がいなくても、不安にはなりません。むしろ、他の人と一緒にできていたんだから、一人ならもっと大丈夫と思って、その通りになりました。もちろん、スリップしたりはしませんでしたけどね。
『仲間がいるから安心』なのではなく、『仲間といても安心な自分になる』ことが、回復の大切な基礎なんじゃないかと思います」
バーブホームの再建は、依存症から回復を目指す方々にとって、新たな希望となる重要なプロジェクトです。依存症に苦しむ多くの人々が再び社会に戻り、安心して過ごせる場所を提供するためには、皆さまのご支援が必要です。集まった資金は建設費用等に当てられます。
ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。