私は十代から、人が恐いと感じていました。人は「期待を満たして、自分を気に入ってもらう対象」で、裏には「そうしないと、人は見向きもしない」という不安がありました。期待を読むアンテナを張って人と関わるうちに、私は薬やお酒にはまっていきます。人と関わる疲れで飲んでいたのが、やがて人と関わることも減り、人無しでも寂しくない様に飲んで紛らわせていた様にも思います。
北九州の回復施設に入った当初、スタッフさんや仲間は評価者に思えました。一度相談して助言をもらえば「分かったと思われたから、もう相談できない」と思っていました。 今でこそ、頭で分かっていても難しいんだ!という苦しさも相談できますが、当時はしばらくいい子でいては依存物に戻っていました。
福岡市の施設に移りしばらくして、スタッフさんと衝突しました。自分を受け入れてもらえなかったと感じ、「こう言われて、こう感じた」と正直に伝えると、「そういう意味じゃない」「幸せになって欲しいから、次の段階に行けるからこそ言っている」と丁寧に対話をしてもらいました。ずれを修正して、関係を続けられたのです。これまではそれができず、悪く思われたとか、分かってもらえないと感じると、何かが終わってしまった様に思えて、依存物を使ったり人間関係を断ち切ったりしていました。怯えて勝手に思い込み、相手には誤解をとく隙も与えない。独り善がりだった事と対話の大切さを知りました。
徐々に仲間にも心を開き、今までなら飲んでいた様な強い欲求の日に、「私、今ハウス飛び出しかけた!助けて!」と言えました。仲間は、飛び出さずに済む方法を一緒に考えてくれました。その晩守られてから、たくさんの仲間とスタッフさんと共に、一年以上お酒を飲まずに暮らしています。そのままの自分で人の中にいる事は、今でも時々、難しく感じますが、それが私にとっての回復のひとつだと思います。悩む事も多いけれど、笑う事も多く、仲間と過ごす時間は充実しています。大切に過ごしていきたいと思います。