Aさん(仮名)は幼少期に母の愛情を十分に感じられず、他者に依存する日々を送っていました。思春期には薬物依存に陥り、閉鎖病棟で絶望的な状況を迎えます。しかし、自助グループとの出会いをきっかけに回復の道を進み、国家資格を取得。現在は息子との生活を大切にしながら、毎日を学びのチャンスと捉えて未来を築いています。Aさんの手記から、回復の軌跡、その経験を通じて得た気づきをご紹介します。
小さい頃の私は、とても恥ずかしがりで、よく保育園で部屋の隅にいて、人前じゃあまり話さない、そんなタイプの子でした。ある夜すごい音で、母と父のけんかがまた始まり、ものすごく怖く、震え、朝起きると母の顔が腫れあがっていて、とても悲しかったことを覚えています。母は、家を出ていくその夜、玄関から振り返って私の顔を見たのですが、母の心境を、大人になった私は、感じることができるようになったと思います。
ただ、小さい頃から、母がこっちを見てくれることが少なく、母の愛情がなかなか伝わりづらいのもあったのか、愛情不足を感じていました。そのこともあり、お友達に依存することが多かったです。祖父母に数年育ててもらい、母が迎えに来てくれた、最初はとてもうれしかったです。
シンナー、薬物、そして共依存
思春期になり、問題行動が目立ってきて、自傷行為がひどくなりました。私はとても敏感な子だったと振り返って気づきます。16歳でシンナーを始め、やがて薬物に走り、もうストップは効かず、転がるまま転がっていきましたが、それでいいと投げやりに思っていました。
生活環境もものすごく悪くなり、自分も周りも大切にできない日々だったと思います。底をついた22歳、閉鎖病棟の保護室に入ることになり、抱えられ入れられたあの扉が閉まった瞬間は、この世の絶望を感じました。
その後、自助グループにつながって、クリーンの長かった前の夫と知り合い結婚したのですが、産後鬱(うつ)になり状態が悪く10年前にマックにつながりました。しばらく自分の殻にこもって、人生を悲観してばかりいました。
元夫はスリップを繰り返すようになり、共依存関係で自分のことより元夫が薬を使わないかなど、そちらの方に問題の焦点を当てることばかりで、今を生きられていなかったと思います。過去と先走る不安な未来を想像して、動悸(どうき)がし、毎日泣いて、当時のスタッフさんたちに私は全身全霊で寄りかかろうとしていたと思います。
絶望から始まった回復への気づき
その回復の過程の中で、たくさんのアドバイスやサポートを頂き、だんだんと物事の分別ができるようになったと思います。絶望から始まった回復の道ですが、施設のスタッフさん、自助グループや仲間からたくさんの気づきなど頂きました。その後社会で働きながら、実務経験と講義などの参加を経て、当時欲しかった国家資格を得られ、とても自信になりました。
最後に飲んだあの日からクリーンはもうすぐ9年目です。スタッフになり2年がたちますが、今も同様に毎日を学びのチャンス、失敗も学びのチャンスと思いながら過ごしています。今は愛する息子と2人、今を大切に、これからも日々の努力が未来をつくると信じて、この経験を伝える機会を頂きながら、頑張っていきたいと思っています。ここにいる皆さまに感謝しています。
(匿名希望・Aさん)
薬物、アルコールなどの依存症は、自分の意思とは関係なく依存が形成される病気です。習慣的な要因によるもので、誰にでも陥るリスクがあります。 1978年に設立されたジャパンマックは、日本で初めて12ステッププログラムを導入した依存症支援施設であり、依存症に苦しむ多くの人々の回復をサポートしています。長年の経験をもとに依存しない生活を送れるよう支援し、社会復帰を目指すためのプログラムを提供しています。
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