高校時代に始まった痴漢行為をやめられず、繰り返し逮捕・受刑を経験したY・Tさん。刑務所での面接をきっかけに北九州マックにつながり、入所から9カ月。仲間やスタッフ、自助グループに支えられ、ストレスをため込まずに過ごすことで、再び行為をしない生活を続けられるようになった体験を語ります。
※本記事は「北九州マック便り」(51号)に掲載された内容を転載しています。
Y・T
自分は、性依存です。
自分がマックにつながった経緯は、昨年、受刑生活を送っていた刑務所での面接官からの紹介でした。その後、マックの職員の方が、刑務所の方に来ていただいて、面接を受け、仮釈放と同時に北九州マックに入所しました。過去、何度も痴漢行為をして、警察に捕まる度に、「これで、痴漢行為を、自分の意志で止めることができる」と思ったのですが、止めることができずにいました。
自分が初めて痴漢行為をしたのは、高校時代でした。電車での通学をしていたのですが、当時は、1両編成の電車で、毎日、満員の状態でした
その時に、女性の身体に手が当たったのですが、その時は、偶然だったのですが、それからは、何も用事がないのに、本屋等に行って、女性の身体を触ることを続けていました。その後、何年かは、痴漢行為をすることはなかったのですが、10年位前に、仕事で電車に乗るようになって、その時に、女性の身体に偶然手が当たってから、また、痴漢行為が始まってしまいました。初めて、警察に捕まったのは、31歳の時でした。
「これで、痴漢行為が止めることができる。』と思ったのですが、止めることができずに、36歳の時に初めて、逮捕されることになりました。当時は、接客の仕事をしていたのですが、新聞の記事に実名が載ったことで、今回、捕まるまで働いていた、雇用主の奥さんから、「雇ってあげる」と言われたことで、転職しました。それからは、痴漢行為は止まっていたのですが、実家近くのパチンコ屋で、女性店員に痴漢行為をしたことで、警察に捕まって実刑判決を受けました。今回、執行猶予期間中に、コンビニとスーパーの女性店員に痴漢行為をしたことで、2回目の逮捕をされ、受刑生活を送ることになりました。
今回の痴漢行為をした経緯は雇用主の奥さんから休日をつぶされることによる、ストレスが原因で、痴漢行為をしてしまいました。今回を含め、逮捕された2回とも、母親の目の前で手錠をかけられる姿を見せてしまったことと、被害者の女性に対して、痴漢行為をしてしまったことに、後悔しているし、申し訳なく思っています。
今は、北九州マックにつながって、9カ月になろうとしているのですが、今住んでいる仲間たちや、マックネクストのスタッフの方たちや、自助グループの仲間たちが、自分の悩みことなどを聞いてくれるおかげで、ストレスがたまることなく、痴漢行為をしない生活を送れているので、これから先も、痴漢行為をしない生活を続けていきたいと思います。北九州マックに出会えたことを、感謝しています。
マックの名前は1978年に東京・山谷地区に開設された三ノ輪マック(現・みのわマック)に由来します。当時、回復の見込みがないとされたアルコール依存症から多くの人々が解放され、家族や医療関係者から賞賛の声が上がりました。その実績と多くの理解者に支えられ、マックの運動は全国に広がり、現在は関東や九州を中心に活動しています。
北九州では、北九州マック開設準備会を中心とする多くの理解者の支援を受け、2012年6月に北九州マック(地域活動支援センター)が開設されました。その後、14年4月にクロップハウス(共同生活援助)、24年1月に北九州マックネクスト(自立訓練〈生活訓練〉)の事業所が開設されました。