ギャンブル依存症に陥り、横領や離婚、仕事の懲戒解雇まで経験し、人生のどん底にいた。絶望の中で弟夫婦の紹介により北九州マックにつながり、抵抗を感じながらも入所しました。携帯やお金の管理、毎日のミーティングという環境の中で少しずつ順応し、いまはギャンブルをしない生活を続けられています。どん底から救ってくれた仲間と北九州マックへの感謝を胸に、これからも一日一日を大切に歩みます。
※本記事は「北九州マック便り」(51号)に掲載された内容を転載しています。
H・S
私はギャンブル依存症です。
7年間ほぼ毎日のようにギャンブルをやり続け、自分の意志だけではギャンブルを辞められない、どうしようもない人生を歩んできました。しまいには横領に手を染め、刑事事件に発展・妻とは離婚・仕事は懲戒解雇、その時の私はこう思っていました。
「これから逮捕されるし、俺の人生完全に終わったな。」「多額の借金・賠償金なんて今後、絶対に払えるわけない」
「ニュースや新聞にも載ったし、自由に外を出歩けないな」
「自殺する勇気はない。だから誰でも良いから私を殺してくれ」と。
希望など全くない、絶望の中に私はいました。そんな私に転機が訪れたのが、今年の4月。弟夫婦が北九州マックを探し出し、私をつなげてくれたのです。でも本音を言えば、入所には抵抗がありました。携帯を取り上げられ、金銭も管理され、しまいには休みなしで3ミーティングをしなさいと。そんな生活、私には耐えられる訳がないと。でも実際は、案外その生活にも順応できるもので、今ではギャンブルをやらない日々を続け、楽しい?生活を送っています。
私はこれからお勤めに行くことになるでしょう。でも不安はありません。私には戻ってくる場所(北九州マック)、帰りを待ってくれる仲間の存在があるから。どん底の私を救ったのは、間違いなく北九州マックです。感謝しています。これからも一日一日を大切にし、今日できることをしっかりやり続けていきたいと思います。
マックの名前は1978年に東京・山谷地区に開設された三ノ輪マック(現・みのわマック)に由来します。当時、回復の見込みがないとされたアルコール依存症から多くの人々が解放され、家族や医療関係者から賞賛の声が上がりました。その実績と多くの理解者に支えられ、マックの運動は全国に広がり、現在は関東や九州を中心に活動しています。
北九州では、北九州マック開設準備会を中心とする多くの理解者の支援を受け、2012年6月に北九州マック(地域活動支援センター)が開設されました。その後、14年4月にクロップハウス(共同生活援助)、24年1月に北九州マックネクスト(自立訓練〈生活訓練〉)の事業所が開設されました。