アルコール依存症で20年間引きこもり、3度の入院を経て、みのわマックで2年半過ごしたH氏。「依存症の回復者だからこそ、聞ける話がある」と気づき、4月からスタッフとして新たなスタートを切りました。下記は、H氏からのごあいさつです。(「みのわマック便り」6月号より)
この度、4月11日より、みのわマックで働かせていただいております、Hです。
私はアルコール依存症です。20年間、引きこもって飲み続けていました。その間に入院も2回しましたが、一時的に酒が止まることはあってもすぐに飲んでしまい、飲まない生き方が存在することすら疑っていました。
3回目の入院で、板橋のはずれにある病院でお世話になり、そこからAA(アルコホーリクス・アノニマス)につながりました。そこで、飲まないで生きている人が大勢いると知りました。AAでは、みのわマックの現役の方に何度も声をかけていただきました。しかし、入院仲間に言わせると「マックは刑務所よりきつい」とのこと。そんなところへは絶対に行きたくないし、自分は軽症だから行く必要もないと思っていました。
退院の日、家に着いた瞬間、入院前に買い込んでいた安い芋焼酎をグビグビと飲み干しました。2杯目あたりで、「あれ?私は飲んでいていいのか?」と疑問が湧きましたが、それ以上考えるのが嫌で、さらに飲んで思考を止めました。
数日間飲んだ後、もともと行く予定だった病院のデイケアへ行くと、「あなた、飲んでいるじゃない!デイケアには入れられません」と𠮟られました。成増の病院にも再入院を打診しましたが、断られました。役所に生活保護の相談をしても、「お酒が抜けてから電話してください」と言われるだけ。毎日「いのちの電話」にもかけましたが、「大丈夫ですよ」と慰められるだけで、何も解決しないことにいら立ちました。
とうとう連絡する先がなくなり、みのわマックに電話をかけてみました。1時間ほど話を聞いてもらった後、「ちょっと遊びに来ない?」と言われ、すぐさま向かいました。
皆さまお察しの通り、行ったが最後。みのわを終了するまで、2年半出られなくなりました(笑)。
その後、2回の脱走を経て、無事(?)マックを終了し、スーパーの品出しを経てタクシー乗務員になりました。タクシーの同僚がゲーム依存で仕事を休みがちになり、そのまま退社して北海道の住み込みの仕事に移ったものの音信不通になるなど、周囲に依存症の本人や家族が案外いるものだと感じました。
お客さまの中にも「仲間」はいました。あるお母さんは、昼間からべろべろに酔った状態で「児童相談所に行ってほしい」と言いながら、「子どもが児相に誘拐された!」と連呼していました。元夫や家族への悪口や文句を言い続けていましたが、話の最後は必ずお子さんへの心配につながっていました。
私が自身もアルコール依存症であること、そしてただいまは飲んでいないことを伝えると、彼女は10秒ほど固まり、酔った目で私をじっくりと見つめました。そして、「アトピーがひどくなる一方で」と、ご自身のぼろぼろになった顔や腕を見せてくださいました。
その時、「話を聞くことができるのは、僕ら当事者だけだよなぁ」と思い、転職を考えはじめました。すぐに、みのわの方々に相談し、2025年4月11日より、再びこちらで働かせていただくことになりました。
皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。
1978年6月、日本で初めて12ステッププログラムを使って依存症者の回復と成長をサポートするアルコール等依存症者リハビリテーションデイケア施設「三ノ輪MAC」として発足しました。設立者もアルコール依存症者の当事者であり、当事者による当事者へのサポートを大切にしています。